【移住】東京から伊豆へ。移住を決めた理由

イズクラシ、楽しんでます。伊豆の国市地域おこし協力隊千田です。

 

なぜ私たち家族が、東京での安定した生活を捨てて収入が1/3になる選択をしたのか。

一言で言うと、東京に居続けることは

「自分にも、家族にも無理がある」

でした。

 

東京での生活に無理があるので移住

私千田は元々、新卒である大手の会社に入りました。
安定と安心を自分の時間と引き換える会社です。
普通のコミットメントをすれば、十分な生活が手に入る会社です。
実際、先輩たちは30歳前には結婚し、家を買っていました。
しかし、私にはどうもそれがピンときませんでした。

生来、ピンと来ないものに全く頑張れない私です。

「人生とはこういうものだ」

と無理やり納得させようともしましたが、一向にピンとくることも、
ピンとこさせることもできませんでした。

そして入社して2年半ほどたち、私は会社を辞めました。

好きにやろう、と。

でも、何が好きなんだろう…

そこで気づきました。僕、

「好きにやっていいよ」

って言われると、

「何やっていいかわからないよ!

というタイプだったんです。

厳密にいうと、

目標や目的はこれだよ、で、「手段は好きにやっていいよ」

は大好きなんですが、

目標や目的も含めてお好きにどうぞ

だとフリーズするんですね。

これは困りました。
本来であればせっかく自由になったので、

「自分の人生をどう使うか、人生を使って何をするか」

をまず考えて、それから【自由に】いろいろやってみればよかったのですが、当時若かった私は

文字通り、「好きなこと」「やってみたかったこと」を手当たり次第にやってしまいました。

 

移住前にやってみたこと

・ニート。何もしない。本当に何もしない。朝からお酒を飲む
→数か月で飽きる

 

・大学時代にはまっていたラーメン屋さんで働く。バイト。(半年)
→とても楽しいけど、自分がラーメン屋さんを一生しているイメージができなかった。

 

・青年海外協力隊でアフリカへ2年
→初海外がアフリカ。非常に良い経験を得られたが人生の軸にはならず

 

・自転車で日本一周(半年)
→シンプルに、やってみたかった。日本、楽しそうな場所たくさんあるじゃん!

 

・東日本大震災支援事業(1年)
→実家が仙台なので、人生のうち1年くらいは使うべきと判断

*ここで結婚*

 

結局やりたいことが明確にならず、「ビジネスを自分でするならIT知識は必須だよね」ということで
東京のIT企業に就職。

 

*ここで妻が出産*

・就職後、2年半が経過←今ココ
→Java,SQLなら書けないけど読めるようになった。
→開発者は向いてない。コード読んでると眠くなる。
→コンサルは好きかな。人と話して可能性が広がる感じが好き。

 

いろいろと食い散らかしましたが、ようやくわかってきたことがありました。

 

移住前にいろいろやってわかったこと

 

飽き性

 

しかも、2つの意味で。

 

1.長時間1つのことに向き合えない意味での飽き性
→ラーメン屋、プログラム開発で発覚。
職人さんのようなものは向いていないようだ。
もっと即興性のあることに職種を向ける必要がある

2.単一のプロジェクトにずっと向き合えない意味での飽き性
→経過を見ての通り。同じ会社に居続けられるのも2年ちょっと。
そもそも、1つの場所に居続けるのが向いてない。

これさぁ

サラリーマン向いてないよね

(うすうす感づいてたけど)
じゃあ、もう好きなことをしてお金稼ぐしかないよね

好きなことって何??

それははっきりはわからないけど、「好きじゃないこと」「苦手なこと」は分かったよね。

–好きじゃないこと、苦手なこと–

好きじゃない
・満員電車
・スーツ(半袖短パンが良い)
・靴(サンダルが良い)
・コンクリートの照り返し
・稟議

苦手なこと
・1つのことに長時間集中する
・同じことを繰り返す
・人と話さない
・人のリアクションが無い
・真剣な顔

これらを「しない」だけでも人生全然変わるよね。

でもさ、何の技術もないのに手当たり次第にいろいろやってみるってリスクない?
子どもも小さいよ??収入は???

ぐぬぬ…

 

ということで、まずは自分の特性や嫌いなこと(=短い人生で我慢する必要の無いこと)は

分かりました。

じゃあ○○しよう!とすぐに踏ん切りがつかないのが人間です。

しかし、千田一家にはもう1つ問題があったのです。

 

東京での生活で家族が無理している

私千田は、現在妻と2歳(移住時点)の娘の3人暮らしです。
妻は出産を機に仕事を辞めており、

夫は稼ぎ、
妻は家

という家族形態でした。

IT企業に勤めていた私の業務時間は、完全フレックス勤務とは言えとても長く、
7時に家を出て22時過ぎに帰宅、ということも珍しくありませんでした。

娘出産後からそのような生活を半年も続けていると、無理が出てきました。

そりゃそうです。

娘は生後半年で、急な泣き、わめき、かんしゃくは日常茶飯事。
私も土日に娘対応を行いますが、1日中一緒にいるだけでもかなりきつい。

だってこのクライアント、要件定義とか全くないんです。
何をどのようにすれば彼女が満たされるのか、それはもしかしたら彼女ですらわからないレベルなんです。

そして要望はとどまることを知らないんです。
工数、1人日しかないんです!とどんなに叫ぼうが許してはくれません。

そもそも、意思疎通が不明瞭なんです。
「え、何この人、マジ何言ってるのかわからない」というレベルじゃないんです。
「ロングタームイニシアティブをそちらにとってもらわないと、こっちのアクションができないフェーズなんですよ」
…いやいや、それ言いたいだけでしょ!
というレベルじゃないんです。

だって言語による意思疎通ができないんですもの。

せいぜいもたらされるヒントは、笑顔か泣き顔。
しかしそれも絶対的な評価基準によってもたらされたものかはわからず、常にトライ&エラーです。

–ある日–

娘:「うぎゃー」

千田:(泣いてるなぁ…そうだ!)「いないいない、ばー!」

娘:「きゃっきゃっ」

千田:(おぉ、いないいないばぁが認知できる年齢(*)になったか。これからは使えるな・)
http://ikuji-log.net/entry/peek-a-boo

–またある日–

娘:「うぎゃー」

千田:(泣いてるなぁ…そうだ!)「いないいない、ばー!」

娘:「……うぎゃー!!」

千田:(ハナシガチガーウ!)

千田:「抱っこしてゆらゆら!どうだ!!」

娘:「うぎゃー!!!」

千田:「秘儀、おむつ替え!!!」

娘:「うぎゃー!!!!」

千田:「おしっこ出てなかったか。ならば、ニューアイテム!ガラガラ!!」

娘:「うぎゃぎゃぎゃぎゃー!!!(ガラガラぽーい)」

千田:「………もうだめだ…た、頼む、ワンワン!!!」

娘:「うぇーぃ(笑顔)」

千田:「サンキューワンワン…」

娘は半年を過ぎたあたりからEテレを見るようになりました。
本当にありがとう、ワンワン…

そして、女性は出産という奇跡を成し遂げた直後です。

曰く、鼻からスイカ
曰く、4tトラックにひかれる
曰く、男だったら耐えられない

体への負担はもちろんですが、ホルモンバランスは大きく変化するでしょう。
その負担や変化はまた大きく体に影響するでしょう。

男性には決して計り知れないことが産後の女性の体内では起こっているのだと思います。
感覚としては、もはや別人、なのかもしれません。

そんな「自分自身に慣れない」状態で上のような対応を求められるのですから、業務難易度は超特級です。

更に、プロジェクトには明確な終わりが存在し、かつ定期的に進捗の確認が可能です。
中打ち上げでクライアントがあーだこーだ、プロマネがどーだこーだということもあるでしょう。
よし、あと半分だ、遅れてる工程にリソースを投入してオンスケで終わるぞ!とか言うでしょう。

しかし、日々おむつを替え、日々授乳し、日々あやし、日々離乳食を作り(そして全く食べてもらえず)
日々夜泣き対応をする、というタスクたちが終わる日はいつなのでしょうか。

このような状態で、家事育児をいくら千田が率先してやろうとも、一日の大半そもそも家にいないのでは話にならないです。

そしてこの環境を放置しておくと誰も幸せにならないのです。

そう、よくある夫婦の行き違いです。


→家族のために稼いで、満員電車も我慢して、家事育児も手伝っているのに!


→夫は自分の時間が持てるだけ幸せ。仕事よりも育児の方が大変なのだ!


→おぎゃぎゃ

双方の感情が行き違うと、その感情は固定され、諦め、断絶につながるのでしょう。

 

ここで千田夫婦は話し合いました。

このままではやはり誰も幸せにならないこと、理想は家族がお互いを第一に考えこの貴重な時間を共有すること、娘によりのびのびした環境を与えること、などなど。

そして、私たち家族にとって住む場所は東京ではない、と言う結果に行き着いたのでした。

 

伊豆への移住前に出した結論

  • 好きなことをとりあえずたくさんやりたい
  • 満員電車とか無理。というか嫌なことを我慢する必要ない
  • 東京で夫婦だけで子育てとかマジ無理
  • 出産は奇跡
  • ワンワンまじ神

 

千田家は、録画して見ていました。
本当に、本当に助かってます。現在進行形で。

サンキューワンワン!

 

 

 

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