Farmers -生み出す人- vol.4 佐藤好明さん

農家は、アーティストだ。

 

食べることは、生きること。

食べることは、暮らしを豊かにすること。

食べることは、未来を作ること。

 

食べるもの、それを生み出す農家さんは、食物をデザインし、私たちの暮らしを彩る。

僕が農家さんを間近で見て感じたことは、農家さんはアーティストだということ。

農家さんの想いが伝われば、暮らしはもっと豊かになる。

 

そんな農家さんに、フォーカスする企画、Farmers -生み出す人-

 

vol.4 佐藤好明さん

 

 

 

僕の、好明さんに対する第一印象は

「畏怖」

だった。

僕が今働かせていただいている「大仁まごころ市場」には農産物などを市場へ出荷している出荷者のみ、で構成される「出荷運営協議会」なるものが存在している。

好明さんはその会の現会長である。

コワモテの揃う出荷者の方々の中でも顔がきき、会議では他の人が言いにくいこともべらんめぇ口調で言ってのける。

彼の解き放つオーラは並大抵のそれではなく、移住したばかりで農家さんとお話ししたことも無いような僕に尋常ならざる印象を与えたのは不思議ではないと思う。

 

が、すぐにその印象が

「頼りになる、気さくなおじちゃん」

に変わるまで長い時間がかからなかった。

 

そして、2歳のムスメと4歳の友人のムスメ

-どちらもキュウリは進んで食べない-

たちが、好明さんの畑で取れたキュウリを(トマトを片手に)1日に3本も食べてしまったことから、

「新鮮さだけじゃない秘密」

を解き明かそうとインタビューをすることに決めたのだ。

 

 

4歳からの約束

 

–好明さんは、ずっと農家さんだったのですか

 

元々、ずっと昔からここで農家だったり牛を飼ったりな。

俺はさ、6人兄弟なんだよ。で、上4人が全員女なんだよな。

親父からすると、当時では遅い子だよ。

その親父がな、自分の親父、俺にとってはおじいさんだな、が亡くなった時に自分が相続する予定だった土地を俺の名義にしたんだよ。俺が4歳の時にだぞ。

当時はまだ医療も今ほどじゃないし、病院に行くだって山の上から行くだ、遠いよ。

それに俺は2歳のころ肺炎になってな。どうなるかなんてわかんねぇだろ。でも、4歳の俺を相続の名義人にしたんだよ。

 

聞けば、好明さんが住む「浮橋」という地域は古い集落ということだ。彼の家の裏には先祖のお墓がある。(土地の登記簿には土地の種類、宅地、農地など、が記されているが、そのお墓たちのあるスペースは「墓地」として登記されているとのこと)

長年風雨に曝されていたお墓は表面の文字が読めない。好明さんのお姉さんの一人が興味を持って調べたところそのお墓が「鎌倉時代」に作られたのではないか、という仮説を持つに至ったほどに、古い。

そして好明さんの家には所謂家系図、が存在したのだがそれを保管していたお寺が火事になり家系図も消失。自らの正確なルーツを知ろうにも、それは不可能になってしまった。

 


実際のお墓。確かに、古い。

 

 

–好明さんのお父さんの、並々ならぬ決意があったんですね。そう言う想いもあって、農家以外の選択肢は無かったと。

 

それだけでも無いけどな。俺が農業高校を卒業したのが昭和40年度なんだよ。

当時の警察や郵便局員、自衛隊なんかの初任給が大体15,000円前後でな。どこでもそういうののなり手が不足しててな。でも、当時家は酪農がメインだったんだけど、牛一頭が月に売り上げる金額が15,000円くらいだったのさ。何頭か飼えば経費を引いたって勤めるよりも割は良いよ。そう言う点も考慮したよなあ。

で、4歳の時のこともある、実入りだって自分の努力次第で良くなる、だから継ぐことにしたのよ。

でも当時は言われたよ、「なんで農家なんかやるんだ」って。

俺は思ったよ、「見てろよ、この野郎」ってな。

 


今年、倒れて入院してから片手足が思うように動かせなくなった。が、トラクターには乗り続ける。

 

 

18歳、自らの進路を考える時、4歳から受けていた期待/希望というのはどのように作用するのだろうか。

僕だったら、と思わずにはいられない。期待を言い訳に仕方なくやるだろうか、それとも抗うように逃げてしまうだろうか。

好明さんはそのどちらでも無かった。期待や希望を理解した上で、自分で考え、判断した。

俺が継いで、大きくしてやると、決断した。

外的要因に流されすぎず、しかし抗いすぎずに最適解を模索する、それは後に酪農家から農家へ移行する際にも大きな表れる好明さんの特性なのかもしれない。

 

 

 

妻への感謝と、酪農から農家へ

 

–継がれた時点では、酪農と農家の2本立てだったのですか。

 

いや、ほぼ酪農一本だね。

酪農はとにかく365日、毎日。で、夏場には牛の餌用にトウモロコシを育てて、冬は山で原木しいたけだ。

野菜なんかは親父とかお袋が自分たちの食べる分を作ってて、他には麦をやってたかな。

と言っても、この辺の人たちはみんな自分たちの食べる分の野菜は作ってたのよ。

結局平成10年まではこういうサイクルだな。継いだころに4頭いた牛はその頃には15頭だった。

まぁ忙しいよ。朝と夕方、必ず搾乳しなきゃいけないからな。

 

 

農業もそうだが、酪農もやはり「一家総出」なのだ。生き物相手なのだから、放っておいて旅行だなんだという訳にはいかない。当時は「朝の6時」に「業者が牛乳を取りに来ていた」のでつまり「朝の4時」から仕事をしないと間に合わなかった。牛は乳を毎日出してやらないといけないので、「365日朝の4時」から仕事と考えるとその辛さは計り知れない。もちろん、当時は機械は、無い。

そういうお仕事をお父さんとやられていたのか、奥様やお母さんはどうされていたのか、当時の様子を細かく知りたくなって質問してみるとはにかみながら優しい顔であるエピソードを話してくれた。

 

 

牛を飼いながら、地域の消防団の副団長までやってたことがあったんだよ。

その集まりが結構あって、昼からの集まりってのも珍しくなかったのさ。で、どうするかって言うと、まず朝のうちに搾乳するだろ、その後山でしいたけを採って、乾燥機に入れておくんだ。ここまでで午前中終わるな。午後のうちに女房がしいたけをまた採っておくのよ。

俺は集まりに行くだろ?飲むだろ?で、夜中に女房に迎えにきてもらってよ、ベロベロになりながら一緒にまず午前中に乾燥機に入れたしいたけを取り出して、その後午後女房が採ったしいたけを入れる、なんてことしたこともあるよ。

だからよ、牛もそうだし野菜もな、女房がいないとここまで盛り立たなかったよ。本当に。

 


白菜持って行け、と。実は奥様にも色々お話を聞かせていただいた。「昔話だよ」と言うが、僕にはその昔話がとっても魅力的。

 

 

 

–今は酪農を全くやられていらっしゃいませんが、酪農から農家へと変わったきっかけは何ですか?

 

酪農はだんだんと単価も厳しくなってきてな。でもコストは上がってきて。

親父が元気なうちは続けて行こうと思ってたんだけど、結局平成10年にスパッとやめたんだ。

 

で、そのくらいのタイミングで東京に住んでいる建築事務所の社長さんが浮橋で土地を買って畑をやりたい、だけどいつもこっちにはいられないから管理できる人を紹介して欲しい、ってな。

で、良いよって。

それからその人と繋がりができてな。

その人が言ったのよ。

「東京にあるうちのマンションの一階部分が駐車場だから、そこで野菜売ってみないか」

ってさ。佐藤さん家の野菜は美味しいからって。

じゃあ、やってみるかと。

 

 

佐藤さん家の野菜は、確かに美味しい。

 

 

 

冒頭でも言ったように、キュウリを食べなかったムスメがそれを貪り食べたのだ。

 

 

でも、それまで野菜はあくまでも自家用として作っていた好明さん。

 

 

東京で評価されるようになるまでには、苦労や工夫が隠されていた。

 

 

 

 

内助の功(再び)と見てろよこの野郎(再び)

 

じゃあそのマンションの駐車場でやるかとなったら、建築事務所の人がわざわざ「野菜の直売をするぞ」ってチラシを作って近所の人にポスティングまでしてくれてさ。いざ行ってみたら30人くらい行列ができててさ、待っててくれてる人たちがいたのよ。

でもな、最初はただ新鮮ってだけでさ。「なんだよこれ」なんて言われたりしたもんだよ。

野菜もさ、芋とかそんなんが多くて、種類が無くてさ。

 

 


件の社長の別荘。好明さん家の近所。おしゃれ。

 

 

これまでは酪農がメインで野菜は自家消費分のみ。となれば、形などは必ずしも販売物として最適化されているわけではなかった。また、「消費者受け」するように様々な種類の野菜を一から育てようとすると非常に難しい。

が、ここでもまた活躍する人物がいた。

 

 

女房がよ、実家が野菜農家なんだよ。子どものころから親の手伝いをしてたからよ、野菜を作るプロの出なんだよ。

だからこの話が出てからも、じゃあ女房が作るかとなって、野菜を作るのも女房、袋につめるのも女房でさ。俺はただ運ぶだけだ笑

それからずっと一緒に作ってればやり方も覚えてくるけどさ、最初は女房に色々やってもらったよ。

 

 

 

自分で売る、からこそ

消費者と相対する、からこそ分かること、見えることがあると好明さんは言う。

 

 

やっぱり、たまに言われるんだよ。お客さんに。

「なんだよこれ」なんて。

印象に残ってるのは大根と落花生かな。

 

大根は、種屋の本を見て良さそうだなと思う品種を作ってみたのさ。味がいい品種です、なんて書いてあってさ。でも実際作ってみたら形が悪いんだよ。種屋は悪いことは言わないんだよな。

んでよ、東京に持って行ったら形が悪いから「何よこれ」なんて言われるんだよ。

「ばかやろー、一生懸命作ったのに好き勝手言いやがって」

とは思ったよな。その場では言わないしケンカもしないけんどな。

 

落花生はさ、これも種類がたくさんあるんだよ。俺は、小さいけど味のいいやつを作って持って行ったんだよ。そしたらお客さんでたまたま千葉出身の人がいてな。千葉の落花生って大きいんだよ。その人は落花生と言えば千葉の大きいやつ、って頭があるから、「こんなの落花生じゃない」なんて言われてさ。

「うまいから食ってみてくれ」って言ったら、次会った時に「確かに美味しかった」って。

 

でも実際にお客さんと相対することで、何を求めているのか、っていうのが実感できたよ。

それに、お客さんの要望で作ってみた野菜とかもあるしな。おたまな、とか。そういう直接のニーズを聞けるっていうのも良かったかな。

もちろん色々言われて腹が立ったこともあるけど、

「見てろよ、この野郎、今にもっとうまい野菜作ってやるからな」

って心に秘めてな。

 


ポジティブで前向き、そんな印象をさらに強く感じた。

 

 

 

好明さんは、平成25年まで毎週土曜日に東京へ野菜を運び、売っていたそうだ。持って行く物は毎回完売。

ある日、大量に買って行くお客さんの1人に「なぜそんなにたくさん買って行くだね」と聞いてみると、こんな答えが返ってきたそうだ。

「スーパーで買った野菜よりも、一週間たった佐藤さんの野菜の方が新鮮だから」と。

いよいよ、核心だ。美味しい野菜を作るためにどんなことをしていたのだろう。

 

 

おいしい野菜に必要なこと。

 

–お世辞抜きで佐藤さんの野菜は本当に美味しいんですが、ムスメが証明しているように。何か秘訣はあるんですか?

 

うまいと思う物を、丁寧に作る、そしてそれを積み重ねる、これだけだ。

 

 

-うまいモノ、を探す。-

うちは、元々市場に出さないんだ。今も出してない。

市場だとどうしても「見栄えがいい品種」が優先されがちなんだよ。「味はまぁまぁだけど、大きい」とかな。だけど、うちは小売りメインだから形よりも「味」を優先して品種を探すんだ。

例えば新しく五月豆、を作ることにする。五月豆の品種もたくさんあるから、初年度は多くの品種を少しずつ育てる。で、味を比較する。その中で美味しい品種だけを次の年に育てる。

そうやって各野菜の味のいい品種、を選ぶんだ。


ミニキャベツ。これも、うまい。生でも火を通しても。

 

 

 

-丁寧に作る-

 

お客さんと近かったから分かるんだけどな、

「きちんとした外見のもの」

がまず売れるんだよ。じゃあ、消毒をたくさんして虫も寄り付かないようにすれば良いか、っていうとそうはしたくないんだよな。

じゃあどうするかって言うと、畑に時間をかけるしかないんだよ。

するべき最低限の消毒をする、草を抜く、肥料をやる、当たり前のことを地道にやるしかない。

で、うちはたくさんの種類を作ってるだろ。だから、段取りをきちんとするんだよ。

いつに種を蒔くか

そのためにはいつ堆肥を入れるか

そのためにはいつ土を起こすか

そのためにはいつ刈った草をどけるか

草はいつ刈るか

これを畑ごと、作物ごとに計画、実行していかなきゃいけないんだよ。
行き当たりばったりでは、絶対うまい野菜は作れないんだよな。


インタビュー当日はこの畑の土を起こす日。

 

 

 


トラクターで土を起こすため、には刈った草をどける必要がある。画像右側にはどけられた草たちがいる。

 

 

 

積み重ねる

 

親父の代やその前から、ずっと野菜を作ってるだろ。

野菜を作るには、土を作る必要があるんだ。

うちは昔から牛を飼ってたから、毎年牛糞を土に入れてたんだよな。

毎年土に栄養を与えてたわけだな。

イネ科の植物を作ると土壌がきれいになるだとかそういうことも考慮して。

すると、土がやっぱり何もしてないところとは全然違ってくるのさ。毎年積み重ねるから、少しずつ良くなって行くんだよ。


好明さんの畑から。かなりの高度にあることが分かる。高度が生む朝晩の寒暖差もまた、美味しい野菜作りに寄与しているのかもしれない。

 

 

 

農家をやっててよかったこと

 

自分で自分のメシを食ってるだろ。それはとっても大変だし辛い。けど、人に言いたいことが言えるのさ。

ストレスが無いよな。それが一番だよ。

年金も安いし、退職金も無いけどさ、自分でメシ食ってる分には誰に気兼ねすることも無いからな。

もちろん、地域やその他のコミュニティがあるから傍若無人に振る舞うっていうわけではもちろん無いけど、自分の考えを気兼ねなく表現できるっていうのは俺にとって一番だな。

 

加えて言えば、自分で努力した結果 -お客さんがお金を出して自分の野菜を買ってくれる- が目に見える形で報われるってのは嬉しいよな。

その代わり、朝から晩まで働かなくちゃならねぇよ。それは本当にきついよ。でもな、一日ずっと働いて、それから夜飲むビールがたまらねぇんだ。

 

 

 

 

 

–編集後記–

スイカ、トウモロコシ、キャベツ、白菜、にんじん、ほうれん草、小松菜、春菊、ジャガイモ、トマト、キュウリ、なす、エリザベスメロン、枝豆、インゲン豆、ピーマン、五月豆、タマネギ、原木しいたけ、バジル、お米。

僕が知っている、見たことがあるだけで佐藤さんは実に21種類の野菜を育てている。多分もっとある。

当然、栽培方法はそれぞれ違う。

これら1つ1つを美味しい野菜に育て上げるための方法を生み出すには膨大な量の試行錯誤があっただろうし、実際の作業量もやはり膨大な物に違いない。

膨大な量、と口で言うのは簡単だが、それを形にできたのは前向きで行動力のある好明さんと、それを時には陣頭に立ち、時には後ろから支えた奥様の二人三脚があったからこそなのかもしれない。

実は、この記事を書いていてかなり長くなってしまったので泣く泣く削ったエピソードが結構ある。

奥様が嫁いで来た時にはまだ牛小屋にガスの設備が無く、朝の4時前から薪で火を起こすというのが一日の始まりであったことや、地域のお米の刈り取り、乾燥などを引き受けるようになった時には奥様が米俵を担いで運んだ、ということなど。

お二人の話を聞けば聞くほど、夫婦でもあるけれど、仕事上のパートナーとしてすばらしい組み合わせだったのだろうなと思う。

 

平成25年に東京への週1回の出張販売は終わってしまったけれど、今でも月に二回、当時の常連さん達に請われて野菜を送っている。(送料を払ってでも、食べたいのだ。)

「送るのも大変なんだよ」と好明さんは言うが、「東京のお客さんが待ってるからよ」ともおっしゃる。

そこには好明さんの優しさと、17年前の「うまい野菜作って見返してやるからな」という想いがまだまだ彼を奮い立たせている証左なのだ。

そうか、美味しい野菜の秘訣は、優しさと負けん気だ。

ようやく謎が少しだけ、解けた気がする。

 

 

 

2 Replies to “Farmers -生み出す人- vol.4 佐藤好明さん”

  1. […] また、同様にインタビューをさせていただいた佐藤さんの奥さんも言っていました。 […]

  2. […] ちなみに真ん中の方は以前インタビューさせていただいた佐藤さん。 […]

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