農家は、アーティストだ。
食べることは、生きること。
食べることは、暮らしを豊かにすること。
食べることは、未来を作ること。
食べるもの、それを生み出す農家さんは、食物をデザインし、私たちの暮らしを彩る。
僕が農家さんを間近で見て感じたことは、農家さんはアーティストだということ。
農家さんの想いが伝われば、暮らしはもっと豊かになる。
そんな農家さんに、フォーカスする企画、Farmers -生み出す人-。
vol.3 星合義和さん
早朝6時半。
星合さんは毎日奥様と一緒に軽トラか軽バンに乗ってやってくる。
車を降りて僕の姿に気づくとにっこりと笑って「おはよーさんです。」と声をかけてくださる。
そして、スイカを「重いなコンチクショウ!」と冗談を言いながら一人で運ぶ。
今の季節は、ほうれん草や小松菜が入った箱を奥様と一緒に運ぶ。
出荷が終わるとまたお二人で車に乗り込み、僕がおどけて手を振るとお二人とも目を細めて手を振りかえしてくれる。
「気をつけてね!」
僕は叫ぶが、聞こえているのかいないのかは分からない。
僕がここでお世話になるようになって3ヶ月。毎朝続く日常だ。
ある時ふと気になって、星合さんのお年を聞いてみた。
すると、僕が予想していた年齢+15歳の回答が返って来た。
だから、インタビューをお願いした。
お願いしたが、渋られた。
30分だけで良いんで!
えらい長いじゃねぇか!!
そこをなんとか!!
雨の日なら、いいよ。
星合さんのインタビューをしないわけにはいかなかった。
なぜなら僕が出会った85歳で、最も85歳に見えない人だからだ。
千田:
農家さんになったきっかけを教えてください。
星合さん:
元々実家が農家だったんですね。で、父親が大東亜戦争で招集されたんです。
当時の農業は今よりも機械化が進んでいませんから、人手がとても必要だったんです。
父が戦争でいなくなり、残されたのは祖父、母、私となってしまって、祖父と母だけではとても手が足りない。
手が足りなければ畑は荒れて行く。
先祖伝来の土地が荒れて行く。
こういう状況でしたから、私には選択肢は無かったんです。やむを得ず、勤めにも出ずに農家になるしかなかった。
でね、正直、農業はそんなに好きじゃないんです笑
辛い思い出も、笑顔を交えながら優しくお話くださった。
千田:
失礼ですが、お父さんは招集されて帰ってはこられなかったのでしょうか。
星合さん:
残念ながら帰ってはこなかったです。
ニューギニア(*1)に派遣されましたから。ニューギニアに入って、森を切り開いて陣地を構築した、ということは一度手紙で知らせが来ましたが、その後は音信不通でした。
果たして、爆撃で亡くなったのか、病気か、何も分かりません。
*1:太平洋戦争でも激戦の1つと言われる地域。
千田:
そこから、おじいさん、お母さんと義和さんとで農家としてやってこられたんですね。
そうなると、確かに、楽しいとか楽しくないとか、きついきつくないとか、そう言うことではないんですね。
星合さん:
そうですね。農業は生きる術ですから。
先祖伝来の土地を守るため、生きるために三人で精一杯やっていました。
どうしようもない、他に道がなかったんです。
朝から晩まで、三人で。
85歳になっても尚クワを操れるのは70年以上の農家人生で培った体のおかげ。
千田:
戦後すぐ、と言うと食料が不足していたイメージがあったので、農家の経営的には作ればどんどん売れる、という感じだったんですか?
星合さん:
戦後すぐは「食料統制」があったんです。で、農家には拠出、というのが求められたんですね。
耕作地の面積に応じて米や麦、サツマイモなどを一定量政府に納めなければならなかったんです。
千田:
お金は??
星合さん:
拠出代金、というのがもらえました。ただ、ほぼ製造原価ですよね。国で決められた価格でね。
だから、やっぱり生活は厳しかったですよね。農家だから食べる物はあったけど、お金はなかった。
ただ当時は国全体が飢えていましたから、食べる物があるだけでもよかったんですが、やっぱり生活にはとても苦労したのを覚えています。
拠出はざっと10年くらいは続いたかなと記憶しています。
それからはようやく自由に物を売れるようになりましたから、作った物を青果市場や農協へ売る、という形式になりました。
それでなんとか生活をやっていきましたね。
千田:
僕が農家さんとお話をしていて感じるのが、皆さんが勉強をしたり新しい作物を作ってみたりと、忙しいのにすごいなということなんです。
星合さん:
やっぱり、生活に直結しますから、良い物を作らなければならないですよね。
最初は本や農協の指導員の方の協力を適宜あおぎつつ、栽培経験を積まないといけないです。
農業をする上で、経験はとても重要な財産になりますね。
しかし、やっぱり今でも時折分からないことは稀にありますから、そこはしかるべき人の協力を得るようにしています。
また、農業の技術や肥料等も進化していますから、そこは旧来の方法に固執せずに新しい知識を取り入れるようにしていますね。
その方がいい結果に結びつくことが多いですから。
—
インタビューをさせていただいた日は、ほうれん草を出荷用にまとめる作業中だった。
画面左のコンテナからほうれん草を取り出す。
1つ1つまとめて束にして行く。
こういう折れているものは売れないため、目視しながら1つずつ手ではじく。
一定量になったら計りで重さを計る。300gになるまで増減を繰り返す。
規定の重さになったら縛り、最後に根っこの部分をきれいに切って終わり。
スーパーに並んでいるほうれん草、あれが出来上がるまでに農家さんたちはこんなプロセスを踏んでいた。
こんなことは気がつかなかった。
食べる、という行為の前には作り手である農家さんを始めとして様々な人の手の積み重ねがある、一見当たり前のことなんだけど、気がつけなかった。
積み重なっている1つ1つの行為に、行為者の想いが、詰まっている。
—
千田:
冒頭、農業はそんなに好きじゃないとおっしゃっていましたが、農業をやっていて楽しいと思うことというのはありますか?
星合さん:
正直に言うと、楽しむっていうことは無いですね。
やっぱり、生きて行くための術ですから、生活で精一杯なんですよ。
もうね、やむを得ず生きるためにやってるんですよ笑
土地を守って、生きて行くためにね。
じゃあ趣味とかは?と食い下がると、毎日の晩酌と月に3回ある老人クラブの活動(活動の後のお酒含む)が楽しみだそうだ。すぐに奥さんの「外でたくさん飲んで困るだよ」とツッコミが入った。
千田:
とても合点が行きました。
星合さんのトマトや小松菜がおいしい理由が。
生活のためには、少しでもおいしい物を作って売らなければならないですもんね。
好きじゃないけど、市場できちんと評価されるためには一生懸命やらないといけない。
一生懸命やればおいしい野菜ができる可能性が高くなりますもんね。
品種や肥料、土壌等野菜のおいしさを左右する要素はたくさんあるかと思うんですが、星合さんが作物を育てる上で注意していることや工夫していることってありますか?
星合さん:
化学肥料を使うよりも、有機質の肥料を使うようにしていますね。
菜種カスや堆肥、きゅう肥、米ぬかなんかを使った方がおいしい、気がします。
ただ、手間はかかりますよ。
化学肥料を少しやれば、むくむくと育ちますけど、有機肥料はそうは行きません。
肥料をやる回数が増えます。先ほどの肥料を別々に、または一部配合をしてそれぞれ土に入れないといけません。
調達するのも別々ですしね。
化学肥料だったら1回買ってちょろっとあげれば、むくむくと。
手間は全然違います。
けど、自然に近い方が味はおいしい気がしますよ。科学的な分析はしていないですけどね。
千田:
勝手な印象ですけど、化学漬け、にされた作物よりも星合さんの野菜の方が安全、な気がするんですよね。
星合さん:
何を以て安全か、というのは難しいですが、より自然な形で栽培した方が安全な気はします。
手間はかかるけど、やっぱり自然の状態に近い形で窒素リン酸カリ(*2)を吸収させたほうが、やっぱりおいしい気はしますね。
*2:野菜を育てる上で必要となる基本的な栄養素。これをどのように与えるかで作物の育ちが変わる。
ただ、自然に近いと虫も食べるだよ、と虫食いのほうれん草の葉っぱを見せてくれた。でもこれは、おいしい証。
千田:
やっぱりあのおいしい野菜にはそう言う努力や工夫が隠れていたんですね。本当に勉強になりました。
お時間を頂戴しましてありがとうございました。
編集後記
2歳の娘に、彼女の大好きなハンバーグを作った時のこと。
ハンバーグと一緒に星合さんのトマトを切って出した。
娘は勇んでハンバーグを1口。次にトマトを1口。
そして、そのまま先にトマトを全部食べてしまった。
トマト、もっと。
娘の求めに応じて同じ量のトマトを出すと、こちらもペロリと食べてしまった。
親として、かつハンバーグを作った者としては嬉しいやら何やら複雑な気持ちにはなったものの、トマトを欲する彼女を見てとても嬉しく感じた。
次の日、いつものように星合さんの「おはよーさんです」を聞いた後、娘のトマトストーリーを話した。
そうですかそうですか、と目を細める星合さんの顔は優しくて、毎週いらっしゃると言うひ孫(!!)へ見せる顔と同じなんだろうな、とこちらまで優しい気持ちになった。
農業に、憧れに似たポジティブな気持ちを持っている人は少なくない。
普段土に触れることの無い、特に都会の人間にとってはもしかすると当然の憧憬かもしれない。
そこで星合さんの、
「好きでもないし、生きるためにやってるんだ」
という一文は正にリアルだった。
職業の選択肢は無く、子どものころからひたすらに農業と向き合わなければならなかった星合さんにとっては、農業は決して楽しみを生み出すものではなく、生活の糧であったのだ。
毎日休み無く、朝から夜まで働いて、それでも生活をするのに精一杯だったというのだから、農業そのものを楽しむという考えはそもそも存在しないのも当たり前なのかもしれない。
しかし、このリアルは決して土に触れない人間の気持ちを否定するものではないと感じた。
なぜなら、娘のトマトヒストリーを伝えたときのお顔は、確かに慈悲と喜びに溢れていたからだ。
[…] 以前インタビューをした星合さんがこんなことを言っていました。 […]